取らぬ狸の皮算用、あのときメルカリがあったなら

バブリー

私と同年代の方は、当然エコノミック・バブルをご存知ですよね(笑)?

wikipediaによれば、「1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)に就職活動を行い、入社した世代を指す」とのことです。

当時、社会人であったみなさん、その当時購入されたブランド物どうされていますか?

消費狂想曲に踊った遠い昔

就職して以来、いや、もしかしたら自分でアルバイトを始めた頃から、せっせと消費活動に励んでいた気がします。

物は欲しい、行きたい、食べたい、やってみたい。

テレビ番組も、高騰する広告料を背景に、世界各地のイベント、レジャー、グルメ、これでもか、これでもかと視聴者に提供し続けていました。

「世界まるごとHow much?」を見て、物欲、食欲大いに刺激されていました。

欲望はとどまることを知りませんでした。

究極の無駄遣い、それは結婚式(笑)。
どうしてあの半日に、ん百万円もパッと使えたんでしょうねえ。
いまでも、使う人は使うんでしょうけど。
それも、自分たちが嬉しかったというより、親戚縁者に恥をかかないようにという強迫観念に駆り立てられていた、というほうが近い。

当時の常識に逆うほど、強くなかったよねと当時の私を擁護してみる。

姉とつくづく、あのときのお金もったいなかったよねえと話します。
姉はいいですよ、結婚生活続いてるんだから。
あたしよ、あたし、披露宴のビデオや写真、まったく負の遺産ですわ(笑)
この負の遺産に、ん十万円使ったよね(;´Д`)

捨て活一次ブームに処分したもの

捨て活第1次ブームは、実家に戻ってしばらくしてやって来ました。
荷物が多くて、処分しないと収まりきらなかったせいもあるのですが。
新婚旅行に着た、カシミアのコート、シルクのワンピース、ブランドバッグ、などなど、手に入れて12年も経つのに、後生大事に持ち続けたのは、元の値段が高かったから。

ある日、意を決して、古着を引き取ってくれる業者へブランド物の洋服を大量に持ち込みました。

東南アジア向けの輸出業者で、夏物は歓迎するが、冬物はよっぽどすぐに売れるもの以外は、1キロ10円で買取というルールでした。

そして、目の前で分別が始まるのですが、例のハネムーンで着た真っ赤なカシミアのコート、一瞬業者が迷ったけれど、即断で10円コースへ分別。

ショック、泣きそう。全部で数百円もらって、トボトボ帰りました。

その後、ブランド物のバッグをブックオフへ持ち込み。

ここでも、カウンターでは丁寧に扱ってもらうものの、チョー厳しい現実が、買取価格に反映される(´;ω;`)

セリーヌ、グッチ、アイグナーのバッグ、バーバリーの柔らかい革のポシェットもゴミとして処分と言い渡されたときの気分と言ったら、アナタ。

たまたま、一緒に査定してもらったユニクロのパンツに100円の値段がつくのにですよ?

メルカリがあったらなー

当時メルカリがあったらな〜と思います。

お金がほしいわけではなく、まだ使えそうなものをゴミとして処分したという罪悪感からそう思います。

ブランドバッグはさすがに丈夫で、型崩れもそれほどなく、革の劣化もありませんでした。

ただ、私が持つには色や形が派手、いちばん都合が悪かったのは、携帯を入れるポケットがないことでした。

今、ネットを検索するとヴィンテージという名のもとに、若い人が昔のブランドバックを上手に使っておしゃれしています。

元値を知っているから、大事に大事に使っていたバッグたち。

いつの間にやら、持ち主が年齢が上がったせいで、出番がなくなったブランドバッグ。

もうひと花咲かせてあげられなくてゴメンね。

そして今、悩ましいのが結婚する前に誂えた和服。

とても、自分では処分できそうにない、思いきれそうにないので、あとは、姉の子供達に任せた!

ゴメン!

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