外には出るな、クーラーつけて適温で過ごせとテレビが言うので(笑)、オリンピックみながら洋服だんすの中身を精査しました。
今日の断捨離
見るだけでも暑そうな、セーター掲載しちゃってすみません💧
左上の焦げ茶のとっくりは、昔高かったからという理由で捨てられなかったもの。
昔っていつ?な話ですが、20年くらい前(笑)。もういいだろ!って年代物。
冬物を夏に処分っていいかもしれない。
手に取るだけで暑いので、なんの未練も沸かない(ホントか?)。
さすがにメルカリやジモティーに出品する勇気はないです。次回、資源ごみの日に出します。
断舎離しすぎて後悔する?
姉はどうやら違う考えのようで、「断舎離しすぎて困ったってよく(ネットに)書いてあるよね」と言います。
姉妹でも、見る角度が違うとヒットするウェブ記事も違うのね。
と思っていたらですね、週刊新潮に文筆業の大御所、五木寛之氏「捨てない生活の言い訳」のタイトルで掲載されたショートエッセイを見つけました。
五木先生、物を捨てすぎてプラスチックゴミの問題を引き起こしているのではないか、と問題提起され、また、ある一定の量まで溜め込むと、それ以上(家の中の)ゴミは増えないとおっしゃる。
物を処分するための煩雑さを経験すれば、物が増えるのが恐怖になるヨ(笑)。
次に、一定量のゴミに囲まれたらそれ以上は増えないって、たぶん、断捨離に励む人はそこまでは、溜め込んでいない(と思う)。
中途半端に処分できないものが、チラチラ目に入るから、なんとかしたいと思うんですよ。
新型コロナの騒動がきっかけに、家の中を見直して、整理整頓が進んだというのは事実としてあります。外出の機会が減った、または、在宅ワークをしているうちに、快適に過ごしたくなったとか。
五木先生がそういう風に思えないとおっしゃるのは、コロナ前後で、お仕事の量や、仕方が変わっていないからじゃないかな、とエッセイ読んでいて感じました。
物を減らす理由
そもそも、あたしが物を減らしている理由は、自分が死んだ後、大量のものを処分するのは自分ではないから。
五木先生のように、書きかけの原稿や書物がすべて財産という人ならそんな心配もいらないだろうけど。
いや、五木先生がそんな理由でこのコラムを掲載されたのではないって分かってます(笑)。
なんでもかんでも断捨離をありがたがる風潮ってどうなんだ、と疑問を感じておられるのですよね。
エッセイの最後に、「人間関係、仕事、悩み」いろんなものを抱えて生きているのだから、簡単に断捨離なんてできないという結びなので。
物は断捨離、人とのつながりは大事にしたい
逆に、人とのつながりは、もうそれほど増えることもないと思うので、大事にしたいです。
「人との関わりが面倒くさい」とか不遜なことを言っていた頃もあったなぁ。
あの頃は、夢と希望と人との出会いは、一生枯れないと思ってましたからね。
物を買うように、人とのお付き合いを買うわけには行きませんものね。
0 コメント